ユウナ×藍
手括り絣
手織りのしなやかさと温もり
琉球王朝の時代から織継がれる布に宿る
古来より変わらぬ普遍の美
国の重要無形文化財指定技術
【産地】沖縄県久米島
【製造者】鈴木八千子
【品質】絹100%
【染色】草木染(地色:ユウナ 絣:藍)
【製織方法】高機織 手織り
【絣作り】手括り
【着用時期】9月から翌年6月頃(袷 単衣の季節)
【生地幅】約38.5cm(裄丈71cm 1尺8寸8分まで対応)
ふんわりとした心地良さが身を包み込む。まろやかなユウナグレーにジャパンブルーのクールな絣模様があしらわれた手織りの布。
ユウナで無地に染めた糸を手括りで防染し、藍染によって柄となる絣が重ね染されています。矢絣(矢羽根)とジンダマ(銭玉)の絣模様は工芸味溢れる風格を漂わせ、洗練されたデザインとカラーリングは都会の街中に溶け込みながらも伝統的な古典美も併せ持ちまる。
着物愛好家の憧れ「久米島紬」ふっくらとした真綿の素朴さと温かみ、手織りのしなやかな風合いは体に沿う着心地の良さを感じて頂けるに違いありません。
矢絣(矢羽根)と銭玉を表したジンダマが緯絣の技法で織り出されています。
ユウナ染めによりグレーの地色を染め、その後 柄となる部分以外(地の部分)を木綿糸でしっかりと縛り防染します。そして藍の染料に浸け込み柄部分を藍色に染めています。
矢絣(矢羽根)
邪気を払い幸福を射止めるといわれ、吉祥文様をされています。
粋なデザイン性が人気の模様です。羽を無地と縞に変化を付けて表現しているあたりが職人の拘りとセンスの良さを感じさせます。
スーッと伸びる絣足は工芸味を漂わせ、手仕事の温もりをかもし出すとともに、柔らか味といった優しさを演出してくれます。
ジンダマ(銭玉)・・お金を現しています。
本場琉球 久米島紬(くめじまつむぎ)
沖縄本島那覇市から西へ約100キロの東シナ海に位置する久米島。 琉球王朝の時代 沖縄列島の中で最も美しいと言われ【琉美の島】と呼ばれていました。その琉美の島で伝承される紬織物「久米島紬」一人の職人が図案・糸染め・機織り・仕上げに至るまで手がけることによって完成する織物です。
大島紬や結城紬などにおいてはそれらの工程を分業によって行います。しかし全ての工程を一人で行うことで職人の感性や思いという形のない趣きが1反の完成した絹布に一層宿るのです。
それは決して作家物のように独創的で斬新なものではありません。ただ昔ながらの工法を守り伝統の絣文様を表現する。しかしこれこそが普遍の美しさではないでしょうか。古から変わらぬ安らぎは、遠く琉球王朝の時代に思いをはせ、当時の情景や人々の生活を感じながら現代への歴史の流れを受け止めてくれているかのようです。
そしてその普遍的な中にあっても現代の風景に溶け込むナチュラルさを持ち合わせているのがユウナ×藍染の色なのです。
ユウナ染 × 藍染のコラボレーション
秋篠宮家 佳子内親王の御印としても有名なオオハマボウ(大浜朴)を沖縄や奄美地方ではユウナ(右納)と呼びます。黄色やオレンジの花を咲かせるアオイ科の常緑高木であるユウナの木を焼いて炭にし、更に粉末状にして水に溶かし豆汁を入れて目の細かな布でろ過し染料にします。その染料で染めるとまろやかな銀鼠の灰色になります。
天然の色に染め上がった彩りには、目に見える色の奥に宿る幾色もの見えざる色が存在し、それを上手く説明する術がないため人は”深みや味わい”といった曖昧な言葉で表現するしかないのです。化学染料のように絶対的なものではない不確かな揺らぎを感じさせる草木染だからこそ 心に響くのかもしれません。
3玉式絣
生地幅に3つの絣群が配されていることを3玉と言います。
※2つなら2玉 5つなら5玉と数えます。
真綿の温もりと手織りの優しさ
緯糸に織り込まれた真綿糸の素朴な温もりと大小の節。真綿紬が持つ味わい深さを感じさせてくれるとともに、紬でありながらも絹が持つ しっぽりと艶やかな光沢がカジュアルさの中にも高級感の漂うエレガントな佇まいを演出してくれるのです。
手織りの魅力
「とんとん♪ とんととん♪」ただひたすら機に向かい緯糸を打ち込んでいく。布の声を聞きながら糸を労わるように、しかし力強く織り進める手織りの作業は、常に心を乱す事が許されない正確さが求められます。それは自分自身と向かい合い我を見つめ直すかのような作業であり、集中力と根気強さを必要とします。高度な技術と人の感度によって、糸の状態や湿度などを見極めて打ち込み具合を加減する。機械織りでは感じられない優しさは人の手がもたらす温もりであり、体に沿う着心地の良さが手織り最大の魅力なのです。
命を吹き込む「きぬた打ち」
久米島紬の仕上げに「きぬた打ち」という工程があります。手織りで織り上げられた生地を洗い余分な糊を落とし、八分乾きの状態で屏風たたみして綿の布にくるみます。そして硬い石や木の上に置き4~5kgはある杵を用いて二人がかりで叩きます。生地が破れないように細心の注意を払いながら20分~30分(400回~500回)ほど叩き更に生地を乾燥させて叩きます。この仕上げだけでも1日仕事になるのですが、ひと手間加える事で生地に光沢が生まれると同時に ふっくらとした優しい風合いに仕上がり着心地の良さに繋がるのです。
久米島紬の歴史
中国や東南アジアとの交易が盛んであった頃、14世紀後半に「堂の比屋」という人物が中国に渡り養蚕の技術を持ち帰ったのがその起こりと言われています。
※堂の比屋・・堂→地名 比屋→そのムラを拓いた家の主人
その後、なかなか養蚕の技術が発達しなかったのですが、1619年 越前(現福井県)より坂元普基を呼び寄せ養蚕の技術や真綿の製法を伝授しました。その後、薩摩から友寄景友が来島し糸染めと織の技術を伝えたことで飛躍的に発展していったそうです。
また、東南アジアとの交易の中で絣の技術が伝わり久米島で独自の発展をしそれが沖縄本土から奄美大島、そして日本本土へと伝播したと考えられています。鹿児島から陸路を渡る経路と日本海を渡って新潟県に伝わりそこから山形の置賜地方や茨城県の結城地方などに伝播したともいわれています。その事から、久米島紬(琉球絣)は日本の絣の起源だとされているのです。
17世紀頃になると、薩摩藩に侵攻された琉球国は、租税として織物の貢納が義務づけられました。そして御絵図帳という絣の柄見本も作られ本土からの注文もあり高度な技術が発展していきました。しかしそれは厳しい貢納制度であり苦悩の時代だったのです。明治36年に織物税が廃止されようやく生活の糧となる産業として独立することができました。
その後、第二次世界大戦という哀しい歴史を経てこの世から消え去りそうになりながらも伝承され続け、2004年(平成16年)国の重要無形文化財に指定されました。
琉球王朝の時代より伝承される織物「久米島紬」国の重要無形文化財にも指定されているこの技術が放つ美しい光沢と絣の素朴な味わいは着物好きさんには溜まりません。ユウナと藍をコラボレーションさせて染め上げられたカラーリングに工芸味を漂わせる絣模様が街中にも溶け込む洗練されたお洒落さと風格を漂わせます。そして様々な色柄の帯ともコーディネートし易く重宝していただけるに違いありません。
製造コストの高騰や後継者不足による生産数の減少により大変希少となっております。価格においても可能な限りお求めやすい設定にさせていただきますので、お目に留まりましたら是非お手元にお迎えください。
スポットガーデン 筑摩和之
※写真と実物ではモニター環境などにより若干異なって見える場合がございますので予めご了承ください。
※価格にはお仕立て代は含まれておりません。(お仕立ては本ページ内のオプションより商品と同時にご注文下さい)
お仕立てに関してはこちらもご参照ください。。
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八掛地は両駒(紬用)のボカシタイプをおススメします。
※無地の濃色の場合は、八掛地と胴裏地の境目の色の違いが表に映りますので予めご了承ください。
※色を優先される場合は縮緬向きのパレス八掛地からお選びいただいても差し支えございません。
★八掛地の色をお任せでご依頼される場合は「八掛色NO」記入欄に『○色系お任せ』などとご記入下さい。こちらで色を選定後、メールにて最終確認させて頂きます。
※色はご注文完了後にゆっくりお考えいただいても構いません。(八掛NO記入欄に「注文後決定」と記入して下さい。)
【八掛地は下の画像をクリックしてお選びください】