6,000年の時を超えて人の心を揺さぶり続ける自然布「葛布」古代より人間の衣服や身の回りの生活を支えてきたのは葛であり麻であり又 藤やシナと言った植物でした 植物を採取し皮を剥ぎ糸を作り手織りで布に仕上げる。その全ての工程を手仕事によって行われたものを自然布や原始布と呼びます。産業の発達や生活様式の変化により、自然布は手間暇がかかる事から衰退し非常に希少で高価な物になってしまいました。庶民の生活に密着していた布が今では手の届きにくいものになってしまったのです。それでも人は自然布に魅かれ手に取った時の心地良さに酔いしれてしまうのです。
葛という植物は珍しいものでは有りません 春に芽を出し凄い繁殖力で夏に向けて蔓を伸ばします。全国的に生息していますので皆さんも夏になると必ずと言って良いほど目にされると思います。道路脇の斜面などに葉を付けて生えているあれです。また秋には藤に似た赤い花を咲かせ秋の七草としても有名です。根っこは葛粉や葛根湯などになります。
この葛を採取し蔓の中から繊維を取り出し糸にして手織りされたのが葛布です。
植物繊維のザクっとした風合いなのですが保湿性や防水性に優れ、また軽くて張りと弾力性があるのが特性です。
葛糸そのものは非常に軽く強靭でかつ速乾性があるため昔は武士の鎧下にも用いられ 防水性にも優れていることから道中合羽としても利用されていました。
また貴族の喪服や装束としても使用されており 現在でも蹴鞠行事の蹴鞠袴として使用されています。
製造工程
初夏に自生する葛の蔓を採り、煮出しをして繊維を採取します。
採取した繊維を一冬、雪の中で貯蔵する事で繊維が柔らかくなるとともに漂白されます。
春になると雪から出して乾燥させたのちに、繊維を細く裂き手績みによって繋ぎ合わせ一本一本の糸に仕上げていきます。この作業は途方もない根気と労力、そして熟練の技術が必要とされるのです。
そして出来上がった糸を手織りによって製織し布が生まれます。
手績みによって作られた葛糸に染色したものを用いて製織されています。ぱっと見分かりませんが、3色の糸によって織り上げられています。
また、撚りが掛けられた糸と、無撚の平糸を併用しています。撚りの掛かっていない平糸には艶感があり、天然の素朴さの中にも洗練された雰囲気を感じさせるのです。
葛布は経糸に絹を用いて緯糸に葛糸が打ち込まれるのが一般的ですが、本品は経糸緯糸全てに葛糸が使用されています。途方もない手間暇が掛かる葛糸100%の布は非常に贅沢であり、製織も難しく高度な技術と細心の注意が必要となるのです。
経糸には撚りが掛かった糸を、緯糸には撚りが掛かった糸と撚りが掛けられていない平糸が打ち込まれています。撚り糸についても撚りの回転数が異なりそれぞれの糸が交わる事で変化のある豊かな表情を見せてくれるのです。
自然の素朴な趣深さとともに、透明感のある艶やかな光沢が葛糸の魅力でもあります。
葛布の歴史
約6,300年昔 紀元前4,300年頃に中国の遺跡から見つかったものがアジア最古の葛布だと言われています。日本のおいても古墳時代の頃には既に製織されていた形跡が出土品の中から見つかっています。
戦国時代から江戸時代まで 貴族の装束や武士の裃など様々な用途に使用されてきた葛布ですが 明治に入り 武士階級の消滅や貴族の洋装化により急激に需要が縮小してしまいました。ところが江戸時代から表装としても用いられていたことから襖地(ふすまじ)の製造にシフトしていくとともに葛布を染色し紙を裏打ちして壁紙として欧米へ輸出されるようになりました。「グラスクロス」として非常に人気を博し明治43年には年間12,600反(一反=36インチ8ヤード)の生産を記録したほどです。静岡県を中心に生産されていた葛布は 掛川周辺で原料を採取していましたが それでは追い付かずに栃木県や茨城県、福島県など各地で原料を作るようになりました。大正の中頃には朝鮮半島に出向いて葛苧(くずお=糸の前段階の繊維の状態)の作り方を教えて仕入れる業者も現れました。日中戦争や太平洋戦争により衰退するとともに 朝鮮からの葛苧の輸入も途絶えていましたが 静岡県、栃木県 茨城県 岐阜県などに葛苧の生産を委託し壁紙の生産が復活されました。
昭和27,8年頃にはアメリカでの人気が高まり韓国から葛苧の輸入が始まり最盛期には9割の葛苧が輸入に頼るものでした。
しかし韓国では昭和36年の政権交代をきっかけに自国の葛布産業に目を付けた韓国政府が原料の輸出を禁止したために日本国内の葛布産業は大打撃を受けたのです。
それまで葛布業者40軒 績み手7000人 織り手1000人 年間45万反 売上6億円という盛隆を極めていた産業が 昭和59年には業者が5軒となってしまい 現在では静岡県において実質3軒の業者しか残っていません。
※本品は、約30年前から新潟県小千谷市 (有)おだきんによって製造されるようになった葛布です。
二代目 吉平 小田島克明
昭和32年 新潟県小千谷市生まれ
昭和55年 学卒後 小売店に勤務
昭和58年 実家に帰り、徳間通久氏及び父、吉平に師事し染織を学ぶ
平成4年 父 吉平の死去にともない工房を継ぐ
以後、「ぜんまい裂織」「小田島原生布」「野之繭紬」など様々な製法の織物を発表するとともに、全国伝統的工芸品展や全国裂織展、日本工芸展など様々な展覧会において各賞を受賞。
現在 日本工芸会準会員
6,000年の時を超えて今なお人々から愛される原始の布「葛布」
自然の恵みに人の手によって命が吹き込まれ布に生まれ変わります。手仕事の技が天然の趣きを余すところなく伝え 正に贅沢の極みと言っても過言ではない希少な工芸品です。
製造元様においては真冬を除くスリーシーズン向きとされていますが、単衣から夏は勿論、工芸味溢れる魅力は袷の季節まで通年お楽しみいただきたいと思います。
スポットガーデン 筑摩和之