【製造元】工房 真南風(まふえ)
【製作者】新崎利子
【品質】絹100%
【染色】草木染:ユウナ 泥藍
【製織】高機 手織り
【着用時期】単衣・袷 9月~翌年6月
【長さ】仕立て上がり約370cmにさせて頂きます。
※ご希望の長さがございましたらご注文手続きの際に、フリー記入欄からお知らせください。
※最大長さ ・・約400cmまで可能
いつかは手に入れたいと多くの着物愛好家が憧れる沖縄の染織工芸品「花織」そして「久米島紬」。琉球王朝の時代から幾度も消滅の危機を乗り越えて脈々と伝承される手織りの布から滲み出る魅力は人々の心をつかんで離しません。本品は花織模様が織り上げられた久米島紬であり大変珍しいお品です。ユウナ染めのまろやかなグレーと藍染のジャパンブルーの段模様が工芸味溢れる風格とお洒落さを漂わせます。
琉球花織
沖縄に伝承される手織り物「琉球花織」。14世紀~15世紀 琉球王朝の時代より幾度となくこの世から消え去りそうになった工芸品は沖縄の人々の執念ともいえる努力と情熱にとって蘇り、先人たちへの尊敬の念とともに今なお織り伝えられています。沖縄の大らかさや自然の美しさといった気候風土の中で育まれながらも、明治維新後の琉球処分や第二次世界大戦による壊滅的な状況を乗り越えた悲しい歴史の記憶が手仕事の中に込められているがゆえに、深みや味わいといった目に見えないスパイスとなって人々を魅了してやまないのかもしれません。
3本のタテ糸を密集させて緯糸を覆い被せるように打ち込んだ部分と縦横交互に織り上げた平織り部分とに織り分ける事で、丸みを帯びた市松の織模様が現れています。
久米島紬
沖縄本島那覇市から西へ約100キロの東シナ海に位置する久米島。 琉球王朝の時代 沖縄列島の中で最も美しいと言われ【琉美の島】と呼ばれていました。その琉美の島で伝承される紬織物「久米島紬」一人の職人が図案・糸染め・機織り・仕上げに至るまで手がけることによって完成する織物です。
大島紬や結城紬などにおいてはそれらの工程を分業によって行います。しかし全ての工程を一人で行うことで職人の感性や思いという形のない趣きが1反の完成した絹布に一層宿るのです。
それは決して作家物のように独創的で斬新なものではありません。ただ昔ながらの工法を守り伝統の絣文様を表現する。しかしこれこそが普遍の美しさではないでしょうか。古から変わらぬ安らぎは、遠く琉球王朝の時代に思いをはせ、当時の情景や人々の生活を感じながら現代への歴史の流れを受け止めてくれているかのようです。
久米島紬の歴史
中国や東南アジアとの交易が盛んであった頃、14世紀後半に「堂の比屋」という人物が中国に渡り養蚕の技術を持ち帰ったのがその起こりと言われています。
※堂の比屋・・堂→地名 比屋→そのムラを拓いた家の主人
その後、なかなか養蚕の技術が発達しなかったのですが、1619年 越前(現福井県)より坂元普基を呼び寄せ養蚕の技術や真綿の製法を伝授しました。その後、薩摩から友寄景友が来島し糸染めと織の技術を伝えたことで飛躍的に発展していったそうです。
また、東南アジアとの交易の中で絣の技術が伝わり久米島で独自の発展をしそれが沖縄本土から奄美大島、そして日本本土へと伝播したと考えられています。鹿児島から陸路を渡る経路と日本海を渡って新潟県に伝わりそこから山形の置賜地方や茨城県の結城地方などに伝播したともいわれています。その事から、久米島紬(琉球絣)は日本の絣の起源だとされているのです。
17世紀頃になると、薩摩藩に侵攻された琉球国は、租税として織物の貢納が義務づけられました。そして御絵図帳という絣の柄見本も作られ本土からの注文もあり高度な技術が発展していきました。しかしそれは厳しい貢納制度であり苦悩の時代だったのです。明治36年に織物税が廃止されようやく生活の糧となる産業として独立することができました。
その後、第二次世界大戦という哀しい歴史を経てこの世から消え去りそうになりながらも伝承され続け、2004年(平成16年)国の重要無形文化財に指定されました。
ユウナ染
秋篠宮家 佳子内親王の御印としても有名なオオハマボウ(大浜朴)を沖縄や奄美地方ではユウナ(右納)と呼びます。黄色やオレンジの花を咲かせるアオイ科の常緑高木であるユウナの木を焼いて炭にし、更に粉末状にして水に溶かし豆汁を入れて目の細かな布でろ過し染料にします。その染料で染めるとまろやかな灰色になります。
天然の色に染め上がった彩りには、目に見える色の奥に宿る幾色もの見えざる色が存在し、それを上手く説明する術がないため人は”深みや味わい”といった曖昧な言葉で表現するしかないのです。化学染料のように絶対的なものではない不確かな揺らぎを感じさせる草木染だからこそ 心に響くのかもしれません。
手織りの温もり しなやかさ
「とんとん♪ とんととん♪」南国の風を感じながらただひたすら機に向かい緯糸を打ち込んでいく。布の声を聞きながら糸を労わるように、しかし力強く織り進める手織りの作業は、常に心を乱す事が許されない正確さが求められます。それは自分自身と向かい合い我を見つめ直すかのような作業であり、集中力と根気強さを必要とします。高度な技術と人の感度によって、糸の状態や湿度などを見極めて打ち込み具合を加減する。機械織りでは感じられない優しさは人の手がもたらす温もりであり、体に沿う締め心地の良さが手織り最大の魅力なのです。
工房 真南風(まふえ)
沖縄の織物は個人事業者が一般的で、各地域(久米島他、南風原や首里 読谷山など)の組合に所属し商品を流通させています。一方、工房真南風は沖縄の染織品を扱う京都の有力問屋が職人を雇い入れて組織的に製造する会社を立ち上げ「工房 真南風」として、沖縄本島の花織を「島ぬ色遊び」久米島紬を「新北風」と銘打って作品を世に出されています。
ゆえに、沖縄県伝統工芸品の証紙や産地組合発行の証紙は貼付されていません。
長年にわたり沖縄の染織品を問屋に卸してこられた実績から、消費者が好むデザインや色などを熟知しているがゆえに、現代にマッチした作品を生み出す事で着物愛好家や専門店筋などから絶大なる人気を博する工房として世に知られる存在になっています。現在はその人気ゆえに商品が品薄になっている状況が続いています。また、職人さんにとっては安定的に仕事と収入を得る事が可能となるメリットがあります。
久米島紬事業協同組合(久米島紬保持団体)を経由している久米島紬が国の重要無形文化財に指定されています。組合は個人事業者だけが加盟でき、会社団体である工房真南風は組合に加盟しておりませんので重要無形文化財をうたうことは出来ません。
いつかは手に入れたいと憧れる沖縄の染織。数百年の歴史に裏付けられた重みと悲しい歴史がスパイスとなり人々の心をつかんで離しません。ユウナ染めと藍染が融合した草木染の趣きや工芸品の風格を漂わせ確かな存在感を放つのです。全国各地の伝統紬や作家物などどんなに高級なお洒落着物とコーディネートしても負けることなく馴染むに違いありません。
工房真南風の作品は唯一無二のお洒落さゆえ非常に人気が高く品薄状態が続いています。価格においても自信をもっておススメしますのでお目に留まりましたら是非お手元にお迎えください。
スポットガーデン 筑摩和之
※写真と実物ではモニター環境などにより色目が若干異なって見える場合がございますので予めご了承ください。
※価格にはお仕立て代は含まれておりません。(お仕立ては本ページ内のオプションより商品と同時にご注文下さい)