【産地】沖縄県 宮古島
【制作者】前川かず子
【品質】手績み苧麻100%
【染色】草木染:インド藍・サンタンガ・レモングラス
【着用時期】7月~8月 夏
※透け感は殆どございませんので単衣や袷の季節に真綿紬と合わせてもお洒落です。
【長さ:仕立て上がり時】約370cmにさせていただきます。
※最大約390cm程度迄可能です。ご希望の長さがございましたらご注文の際「フリー記入欄」に記載してお知らせください。
命が吹き込まれた個性豊かな糸を愛しむ
宮古上布は苧麻を手績みした糸が用いられています。苧麻の皮を剥ぎ繊維を裂き結び目が出ないように撚って一本の糸に仕上げます。製造段階において手績みの仕事がもっとも手間がかかります。その作業は単調で気が遠くなる程の時間を要します。このように手績みで作られる糸には芭蕉布 越後上布 藤布など天然の植物繊維を原料とする織物に共通するのですが、どの産地もこの仕事に従事される方は年配の女性たちであり高齢化が深刻になっています。織り手になりたいという若者はそれなりにはおられるのですが、ひたすら糸を績む仕事がしたいと思う若者がいるはずもありません。美しい織物が作りたい。そうして出来上がった作品は世間から憧れの眼差しで見られ愛され そして作者は賞賛されます。しかしその作品の原料となる糸にまで思いを寄せクローズアップされる事は稀ではないでしょうか。
そうして出来上がった糸は績む人によって全て個性が違うのだそうです。その個性ゆえに織り上がった布に人間味が宿り味わいを生み出すのでしょう。
草木染の魅力
化学染料では感じることの出来ない草木染の魅力とは何なのでしょうか。
草木染料に混ざった天然の有機物が作用し、目の前に見える色の奥に更に重なり合った色が見えてくると言えばいいのでしょうか。
じっと見ているとそれが本当に何色なのかが分からなくなる感覚に陥ってしまい、それこそが草木染だけが持つ”色の深み”と言うものなのかもしれません。
そして草木染は日々色が変化していきます。しかしその歩みはあまりにも遅く目に見えて変わるものでは有りません。
草木染料は染められた後も歩みを止めず糸に浸透していくのだそうです。そして浸透するにつれて徐々に深みが増して色が変化していくのです。
帯としてお客様の手元に渡ってからも日々成長していく草木染。その成長は実感できないかもしれません。しかし間違いなく貴女と共に人生を歩んでいるのです。身に着ければ身に着けるほど、時が経つほどに愛着が湧いてくるに違いありません。
艶やかな渋い光沢を放つ布
宮古上布は織り上がったのち、機織りの前に織りやすいように付けられた糊や不純物を水洗いで落とします。その後 砧打ち(きぬたうち)という仕事が待っています。
生地に澱粉糊と水を混ぜたものを均一に塗り3kg~5kgもある大きな木槌で布を何度も何度も叩く事で繊維が柔らかくなるとともに美しく渋みのある光沢が生まれます。着尺の場合は2万回から2万5千回も叩くのです。闇雲に叩けば良いのではなく熟練した職人技が必要となる事はいうまでも有りません。まるで蝋を引いたような見た目になりそれを「蝋引き」と表現されることもあります。最後の仕上げまで生地をより良いものにするこだわりも島民の気質がなせる技なのです。
手織りの魅力
「とんとん♪ とんととん♪」ただひたすら機に向かい緯糸を打ち込んでいく。布の声を聞きながら糸を労わるように、しかし力強く織り進める手織りの作業は、常に心を乱す事が許されない正確さが求められます。それは自分自身と向かい合い我を見つめ直すかのような作業であり、集中力と根気強さを必要とします。高度な技術と人の感度によって、糸の状態や湿度などを見極めて打ち込み具合を加減する。機械織りでは感じられない優しさは人の手がもたらす温もりであり、体に沿う締め心地の良さが手織り最大の魅力なのです。
人頭税に苦しめられた辛く悲しい歴史
宮古上布を語る上で知らねばならない事が有ります。
琉球王朝の頃から明治の初めまで宮古島の人々が苦しめられた人頭税です。
人頭税とは収入にかかわらず全て人々から一律に税を徴収する制度の事で、どんなに貧しくても 台風などの災害が起ころうとも免除されることなく厳しく徴収されたのです。宮古島では15歳から50歳の全ての人に税が課せられました。数え年ですから15歳と言えば今では中学生の義務教育の頃からです。男性は粟 女性は布を納めなければなりません。税は琉球の人々全てに課せられていましたが、宮古島と八重山は特に厳しく徴収されたのです。身分の高いものは軽くその分を身分の低い貧しい人々から重く取り立てていたという事ですから当時の人々は税の為に布を織っていたのです。徴収した宮古上布は琉球王朝から薩摩藩に献納されそこから「薩摩上布」と名を変えて京都や大阪へ出荷し巨万の富を得ていました。本来は島民の血のにじむような生活によって作られた宮古上布なのです。
高度な絣の技術は決して作りたくて作られたのでは有りません。少しでも身分の高いものや、役人商人が利益を得るために作らされたのです。どんなに素晴らしい宮古上布を作ろうとも自分たちの生活には全く関係無かったのですから。
新里玲子さんが宮古上布の世界に入ろうとされた時 過去の人頭税という負のイメージから周囲の者に反対されたという事ですから 当時の年配者の方達にとって宮古上布は暗い歴史の象徴だったのでしょう。
266年もの長きに渡り苦しめられた人頭税 それが宮古上布なのです。人頭税が廃止され ようやく島の産業として自分たちの生活の糧として独立する事が出来たのです。