紅型染の第一人者 玉那覇氏がこの世界に入られたきっかけは、伴侶となられた道子さんとの出会いによるものです。
石垣島で生まれ育った同氏は、那覇に移り鉄工所で働かれていました、その当時に出会われた道子さん、実は紅型染 三宗家の一つ「城間家」14代当主である城間栄喜(しろま えいき)さんの娘さんだったのです。
その縁を機に紅型染の世界に入られたのが玉那覇有公氏が25歳の時でした。
全くの素人から始めた紅型染が順風満帆のはずは有りません。そもそも仕事に厳しい義父 栄喜氏、それに輪をかけて身内に対しては更に厳しく接しられたといいますから、職人として認められるまでには血のにじむような努力をされたのでしょう。「名門 城間家に泥を塗るようなことはできない。」それのみを心に刻み日々修行に励まれたのです。
そして、師であり義父でもある栄喜氏の下で紅型の技術を極めたのちに独立し、その後も日々高みを目指し製作に励まれ1996年には紅型染で初、国の重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に認定されました。