知念紅型について
琉球王朝の時代から脈々と伝承される知念家の紅型染 そこに存続の根幹となる物語が存在するのです。かつて琉球王朝士族に仕え、紅型三宗家と呼ばれる3つの工房がありました。知念家 城間家 沢岻(たくし)家です。その3家だけが身分の高いもの達の衣装を染める事が許されていたのです。このうちの知念家 城間家が現在でも紅型染に携わり素晴らしい作品を世に送り続けておられます。
【知念紅型研究所】と【知念びんがた工房】
現在この2つの知念家が存在します。前者は知念冬馬氏が元当主 後者は知念積元氏の工房です。これら2つの知念家のどちらが宗家の系譜なのかという論争が我々業者間で起こった事があります。それは決して2つの知念家が歪み合っていた訳ではなく、業者間が勝手に話題にしていただけなのですが、当時は積元氏が本流なのだとの噂で私自身も信じていたおりました。その理由は、戦前の廃藩置県に端を欲する琉球処分から第二次世界大戦後の紅型低迷期において、城間栄喜と共に復興に尽力された知念積弘氏の存在が大きく関わっています。また、その時代 冬馬氏の知念家は様々な事情により紅型染から離れておられた事も理由です。
実際のところはどうなのかという点において、冬馬氏がホームページの中で語っておられます。
要約すると、紅型宗家初代の長男の系譜が冬馬氏であり次男の系譜が積元氏との事。それを踏まえると冬馬氏が直系になります。しかし先に述べた通り、一時期紅型から離れていた直系と、琉球王朝の頃から受け継ぎ戦前戦後の復興に尽力した次男筋。そして、冬馬氏の祖父である貞男氏が積弘氏の教えを請い紅型の道に入られて知念びんがた工房を立ち上げられた事などから、積弘氏が直系なのだとの認識が定着していったのです。しかし、どちらが直系なのかなど大きな問題ではなく、互いの存在があったからこそ今の知念紅型が存在するのです。
この事は、以下の言葉に現れています。
知念冬馬氏の言葉
「知念績弘が戦前の低迷期も紅型を続けてきた人物です。 この家系がなければ、知念紅型は無くなってしまっていたのではないかと考えています。」
「知念紅型は績弘がいたからこその歴史です。本来はどちらが大家でも分家でもなく、知念紅型全体での「宗家」だと思っています。だからこそこの先の未来も守っていける歴史なのではないでしょうか。」
知念積弘氏が貞男氏に教えを請われたときの言葉
「大家のあなたが継いでくれるなら、僕もあの世に行ったら先祖に褒めてもらえる。それならば。」
「本家でも紅型をはじめましたので、知念家の伝統もこれで安泰だと、ほっとしています。」
以上の言葉らか分かるように、互いに尊敬の念を持ち、紅型に情熱を注いだ共通の想いがあるからこそ、今の知念紅型があるのです。
最後に知念冬馬氏の紅型にたいする想いをご紹介します。
以下ホームページより抜粋
現在、知念紅型研究所は知念冬馬が跡を継ぎ、日々紅型はせっせと染め上げています。この着物と出会ったお客様がに幸せが訪れますように。その思いを、一つ一つ、一筆一筆に込めて日々作品作りをしています。
紅型が一生、文明が続く限りはどんな形ででも残していきたい。
紅型に携わる人が一人でも多く長く続けていける業界に発展させたい。
そのためには先人たちが作り上げてきた歴史が欠かせません。
紅型にまつわる歴史や技術をしっかりと人々に伝えていき、その価値や重要さを大切だと知ってもらう。
モノよりコトの時代へと突入した現代、より大事に丁寧に皆様の元へ届けていけるよう日々制作してまいります。
知念冬馬
1988年生まれ
下儀保知念家十代目
知念紅型研究所社長
故知念貞男氏と知念初子氏より伝統的技術技法を継承
・日本工芸会準会員・沖展準会員
2013年 第六十六回沖展 入選
2014年 第六十七回沖展 入選
2015年 沖縄新鋭選抜協議会 準選抜受賞
2016年 第六十九回沖展 うるま市町賞受
その後も現在に至るまで多くの賞を受賞されています。