【長さ】約490cm
この淡く渋い草木染にシャリっとそしてザラつきのある織物の深みと味わい。
染織作家 上原美智子さんが生み出す極上の絹布 若き日の葛藤を経て 湧き出る情熱を立涌という地柄に込められたかような魅力あふれる作品です。
※立涌模様(たてわく)とは伝統柄の1つで水蒸気が湧き立つように見える事からその名が付きました。
藍染で紫系や緑味の薄藍色 薄灰色に染め上げられた上質な絹糸を完全に精練しないことによりシャリっとした独特の風合いが残った糸に仕上げられています。糸にとことん拘り 純国産の春繭から上州座繰機で引かれた上質な糸が用いられています。上原さんにお会いした際にお話を伺ったのですが
「春繭は秋繭に比べやはり上質です。そして上州座繰機で引かれた糸は何て言ったらいいのか・・そう 底光りするんですよ」
そうおっしゃいました。
底光り・・絹が本来もつ奥底から湧き立つような美しさとでも言いましょうか 独特の表現方法ですので完全に理解することは出来ませんが そういわれて眺めると確かにその美しさを感じるのは決して気のせいではないのでしょう。何より絹をこよなく愛する上原さんが感じられるのですから。上原さんは本当に無邪気で嬉しそうな笑顔でそう話されるのです。失礼かもしれませんが少女のような純真さと糸をまるで自分の子供であるかのような ひょっとすると分身とさえ思っておられるのかもしれません。
布を拡大してみると経糸には実に沢山の色が用いられているのが分かります。この多色使いにより一見すると紫や薄藍色に見える立湧文様が奥行とともに深みの有る色合いに見える秘密なのです。その色目は言葉で何色と申し上げる事が出来ず感じるしかないのかもしれません。
緯糸は灰色がかった紫色の糸が打ち込まれているのですが、この色も藍染で染色されています。薄灰色の経糸に紫の緯糸を用いる事により、こちらも何色と言葉では表現できない色味に仕上がっています。
生絹(なまぎぬ)
本品はシャリっとしてざらつきのある肌触りなのですが それは絹糸を不完全に精練している生絹(なまきぬ)を用いている為です。
精練する前の絹糸はまだとても硬いものです。絹はフィブロインという物質にセリシンというタンパク質の一種でコーティングされています。繭の状態で紫外線などからお蚕さんの身を守るためです。このセリシンを精練と呼ばれる工程により落とすことで絹が持つしなやかなドレープ性と煌びやかな光沢が現れます。
その精練を不完全に処理することでタンパク質が残りこのシャリっとして少しざらつきのある味わい深い織物に仕上がるのです。
そしてどれくらいタンパク質を残すのかは上原さんの長年の経験によるものでそこにも強い拘りを持たれています。一般的には化学薬品によって精練されるのですが 上原さんは親しい陶芸家の方から陶器を焼き上げる際に残った木灰を譲り受け 水の中で掻き混ぜその上澄みを使って精練されます。今までの経験からどれくらいが丁度いいのかpH(ペーハー)の濃度を測りそれを用いられるのです。絹を愛する上原さんだからこそ天然のものに拘り糸を労わることによって絹が持つ潜在能力を最大限引き出されているのです。
手間を惜しまず 美しさを追求する それが上原さんの「100年後の人々に感動してもらえる織物を作りたい」という情熱であり譲れないプライドなのです。
私の前で見せてくれた少女のような笑顔とキラキラと光る眼差しとは裏腹に物作りへの執念ともいえる強い信念を感じさせるのです。
糸染めされる染料は沖縄の自宅の庭などで採取される天然の草木が用いられます。本品は琉球藍とインド藍を使用しています。
紫もグレーも全て藍染です 配合は一切せずに藍単独で染められています。
発酵建てした本藍を使わず 藍の生葉で染められています。発酵建ての藍だと藍色にしか染まりませんが生葉だといろんな色に染められます。
藍染=藍色のみと単純に考えてしまいますが、生葉を原料とすることで他の草木を一切混ぜ合わさなくてこんな色が表現できるとは驚きです。
淡くて渋い色味と底光りする上州在座繰糸とが絶妙にコラボレーションして美しいと表現するしかありません。
立湧織
V字型を上下交互に並べた特注の筬を用いる事で立湧状の地柄に織り上げられている本品。経糸が曲線になっており 織り目の開きが広い部分と狭い部分とが出来る事で 生地の表面に光と影のような立体的な奥行が生まれます。そしてセリシンを落とし切らないことで摩擦係数が増し この経糸の曲線がしっかりと固定されて左右に寄れないのだそうです。
上原美智子さんの代名詞とも言える「あけずば織」(あけず=蜻蛉 ば=羽) 蜻蛉の羽根のように薄く透明感のある 極細の絹糸で織り上げられた布 実物に触れてきましたが 天女の羽衣を思い起こさせるほどの薄さで触れようとしても自分の手の風圧で逃げて行ってしまうような そして全くと言っていいほど重さを感じないのに肌に心地よさをもたらしてくれているような不思議な感覚を覚えました。
※立湧織の名古屋帯ことを「あけずば織」の帯と記載されていますが 正確には帯を「あけずば織」とは呼ばれません。
織物との出会い
上原美智子さんが生まれ育った沖縄の歴史と現実 自分自身の生い立ち それらが複雑に絡み合って自分を見失いそうになった時・・・自分を見つける為に実体のあるリアリティーを求めた先に有ったものが織物 それが上原さんが織物に携わることになる入り口だったと語っておられます。第二次大戦を身をもって体験され片足を失った母親から幾度となく聞かされた事からまるで自分自身が体験したようにリアルに映像として刻まれた沖縄の悲しい歴史 東京での短大時代に沖縄へのその思いから学生運動や沖縄本土復帰運動などにも顔を出された中 アジテーション(扇動)という実体のない言葉だけの薄っぺらさに嫌気がさし 自分がやりたいことが見つからず一体何が出来るのだろういうコンプレックスが絡み合い 実体のあるものを生み出す事へその意味を求められた先に出会ったものが織物だったのです。
上原美智子
1949年(昭和24年)沖縄県那覇市に生まれる 高校卒業後上京し大学卒業後1971年(昭和46年)民芸運動の父「柳宗悦」氏の甥にあたる「柳悦博」氏に師事し染織を学ぶ。柳氏は多くの弟子を取らず順番待ちの状態だったのですが 上原さんが沖縄出身だと知り運よく弟子に迎え入れられたのだそうです。柳宗悦氏が沖縄の染織に感動し沖縄の工芸品を広く世に知れ渡らせることによって沖縄処分以降衰退していった伝統工芸が復活したという歴史があったからこそ悦博氏が上原さんを弟子として迎えられたきっかけだったのでしょうか。
そして1974年(昭和49年)沖縄に戻り 第二次世界大戦で壊滅状態であった沖縄の染織を紅型染の城間栄喜氏や芭蕉布の平良敏子氏らとともに復興に尽力された「大城志津子」さんの元で沖縄の織物技法を学ばれました。
1974年(昭和54年)まゆ工房を設立し独立 その際にはお父様や公庫に頼み込み借金をし独立されましたがその返済に困り大変苦労されたという事です。それでも織物の世界で生きていきたいという強い信念が実り 作品が認められ 個展やグループ展を数多く行われ 着尺や帯だけでなく「あけずば織」のショールの制作など和洋の世界で広くご活躍されています。
糸をこよなく愛し妥協を許さない強い信念をもって作品作りに取り組まれている染織作家 上原美智子さん。
国産の春繭を上州座繰機で引かれた特上の絹糸の底光りする美しさ 精練しきらないシャリっとした風合いが生み出す味わい深さ そして草木染の淡くて渋い色合い それぞれが絶妙に合わさり立湧織のお洒落さをより一層際立たせており まさに唯一無二の存在感を漂わせる九寸名古屋帯に仕上がっています。
本品は生絹のシャリ感と透け感がありますので単衣から夏にかけても適していますが、着物上級者の方は袷の季節にもお使いになれれています。紬専門問屋さんの間でも夏物という位置づけではなく年間お使いいただけるものとして販売されていますので 単衣や夏は勿論 袷の季節にも是非お使いいただきたく存じます。
※写真と実物とはモニターや画像処理の関係上、若干異なる場合がございますので予めご理解ください。