日本が誇る絣織物の起源・・久米島紬
美しいキモノ モデル掲載品
泥染めの褐色
グール染めによる赤味の絣足
手括りによる伝統的な絣文様
手織りと"きぬた打ち"から生まれるふっくらとした手触り
琉球王朝の時代から織継がれる布に宿る
古来より変わらぬ【普遍の美】
それこそが 国の重要無形文化財指定技術
「久米島紬」の魅力なのです。
美しいキモノ冬号 226P
【産地】沖縄県久米島
【製造者】玉城洋子
【品質】絹100% 真綿使用
【染色】草木染(テイカチ※テーチ木 グール) 泥染め
【絣作り】手括り
【着用時期】10月頃から翌年5月頃(袷の季節)
【生地幅】約39cm(裄丈72cm 1尺9寸まで対応)
本場琉球 久米島紬(くめじまつむぎ)
沖縄本島那覇市から西へ約100キロの東シナ海に位置する久米島。 琉球王朝の時代 沖縄列島の中で最も美しいと言われ【琉美の島】と呼ばれていました。その琉美の島で伝承される紬織物「久米島紬」一人の職人が図案・糸染め・機織り・仕上げに至るまで手がけることによって完成する織物です。
大島紬や結城紬などにおいてはそれらの工程を分業によって行われています。しかし全ての工程を一人で行うことで職人の感性や思いという形のない趣きが1反の完成した絹布により一層宿るのです。
それは決して作家物のように独創的で斬新なものではありません。ただ昔ながらの工法を守り伝統の絣文様を表現する。しかしこれこそが普遍の美しさといっていいのではないでしょうか。確かに伝統を守りながら常に新しいデザインや柄に挑戦し現代にマッチした作品にも心が動かされる素晴らしさがあるのですが、昔から変わらないことに感じる安らぎは、遠く琉球王朝の時代に思いをはせ当時の情景や人の生活を感じながら現代への歴史の流れを受け止めてくれているかのようです。
草木染・泥染め・絣
久米島紬は島に自生する草木によって糸染めされています。
本品はグール(サルトリイバラ)の根からとった染料で赤茶色に染めた後、テイカチ(テーチ木・シャリンバイともいう。)で重ね染めすることで最終色の黒褐色にする為の染を施します。そして最後に泥染めにより媒染することでテイカチに含まれるタンニンと泥に含まれる鉄分が化学反応を起こし褐色に染め上がります。※大島紬の泥染めと同じ原理で、決して泥が糸を染めているのではありません。
また久米島紬独特の草木染料であるグールによって絣模様の端(絣足)が赤茶色に染まる事で絣に立体感が生まれ久米島紬ならではの魅力を漂わせます。※絣足の綺麗な滲みを出すためにグール染めを施し糸を乾燥させたのちに熱い染液で付け染めを行います。
そして、テイカチと泥染めを繰り返すことで段々と色が黒くなり褐色に染め上がっていきます。その糸染めの作業は約一か月を要し非常に手間暇がかかり重労働であるとともに熟練の経験と正確な技術が必要とされるのです。
そして天然の色に染め上がった彩りには、目に見える色の奥に宿る幾色もの見えざる色が存在し、それを上手く説明する術がないため人は”深みや味わい”といった曖昧な言葉で表現するのです。化学染料のように絶対的なものではない不確かな揺らぎを感じさせる草木染だからこそ胸に響くのかもしれません。
絣(かすり)は絹糸の一部が染まらないように白く染め抜く部分を綿糸を手括りによって縛り染め分けされています。
※絣とは1本の糸を染め分けする事を言い、その絣糸を組み合わせて柄を織り出す技法も同義に絣と呼びます。
本品は伝統の絣文様である【トゥイグワー(鳥)】【ジョージ・カマシキー(釜敷)】を4つ・9つ組み合わせた幾何学模様が表現されています。
トゥイグワー※鳥が飛ぶさまを形どっています。
グールで染まった赤茶色の絣足が久米島紬ならではの特徴です。
ジョージ・カマシキー(釜敷)※ブロックを菱型に4つ組み合わせた柄。それを更に釜敷状に組み合わせています。
ジョージ・カマシキー(釜敷)柄を9つ組み合わせてクワヌチ・ムチリー(九つの群れ)の柄を表現した絣文様
※日常の生活道具をモチーフにした絣柄を、更に幾何学状に配したデザインです。琉球絣は様々な組み合わせなどもあり実に600種類もあるそうです。
3玉式絣
生地幅に3つの絣群が配されていることを3玉と言います。
※4つなら4玉 5つなら5玉と数えます。
真綿の温もりと手織りの優しさ
緯糸に織り込まれた真綿糸の素朴な温もりと大小の節。紬が持つ味わい深さを感じさせてくれるとともに、紬でありながらも絹が持つ光沢がカジュアルさの中にも高級感のある高貴な佇まいを演出してくれます。
沖縄の織物は例外なく全て人の手で製織される手織物です。
トントン トントンと工房に響き渡る打ち込みの音を聞きながら布の機嫌を伺い、緯糸の打ち込み加減を調節しながら数回に分けて1本の緯糸を打ち込み織進められる手織物は、硬さのないしなやかな風合いに仕上がります。緯糸を一度に”ガシャン”と打ち込む機械織りはどうしても余分な力が糸にかかり硬さが残ってしまうんですね。
ただ未熟な技で手織りされたものは単なる頼りないくたっとした生地になってしまいますので織子さんの繊細かつ熟練の技術が必要とされるのは言うまでもありません。
きぬた打ち
久米島紬の仕上げに「きぬた打ち」という工程があります。手織りで織り上げられた生地を洗い余分な糊を落とし、八分乾きの状態で屏風たたみして綿の布にくるみます。そして硬い石や木の上に置き4、5kgはある杵で二人がかりで叩きます。生地が破れないように細心の注意を払いながら20分~30分(400回~500回)ほど叩き更に生地を乾燥させて叩きます。この仕上げだけでも1日仕事になるのですが、ひと手間加える事で生地に光沢が生まれるとともにふっくらとした優しい風合いに仕上がるのです。
久米島紬の歴史
中国や東南アジアとの交易が盛んであった頃、14世紀後半に「堂の比屋」という人物が中国に渡り養蚕の技術を持ち帰ったのがその起こりと言われています。
※堂の比屋・・堂→地名 比屋→そのムラを拓いた家の主人
その後、なかなか養蚕の技術が発達しなかったのですが、1619年 越前(現福井県)より坂元普基を呼び寄せ養蚕の技術や真綿の製法を伝授しました。その後、薩摩から友寄景友が来島し糸染めと織の技術を伝えたことで飛躍的に発展していったそうです。
また、東南アジアとの交易の中で絣の技術が伝わり久米島で独自の発展をしそれが沖縄本土から奄美大島、そして日本本土へと伝播したと考えられています。鹿児島から陸路を渡る経路と日本海を渡って新潟県に伝わりそこから山形の置賜地方や茨城県の結城地方などに伝播したともいわれています。その事から、久米島紬(琉球絣)は日本の絣の起源だとされているのです。
17世紀頃になると、薩摩藩に侵攻された琉球国は、租税として織物の貢納が義務づけられました。そして御絵図帳という絣の柄見本も作られ本土からの注文もあり高度な技術が発展していきました。しかしそれは厳しい貢納制度であり苦悩の時代だったのです。明治36年に織物税が廃止されようやく生活の糧となる産業として独立することができました。
その後、第二次世界大戦という哀しい歴史を経てこの世から消え去りそうになりながらも伝承され続け、2004年(平成16年)国の重要無形文化財に指定されました。
大き過ぎず小さ過ぎず、絶妙のバランスで配された絣模様が着姿をより美しくそしてお洒落に演出してくれます。シンプルで古典的な図柄なのですが、褐色の美しい光沢と赤茶色の絣の滲みがあいまって、素朴さの中にも洗練された風格や優しさを漂わせていると思いませんか。
本品はキモノ雑誌にてモデル着用をされた為、仕立てたように見えるモデル仕立状態です。※下のトルソー着装写真は実際に本仕立てされたものではございませんのでお客様のサイズでお仕立てさせて頂きます。
雑誌掲載では「宮良せいこ」さん作 花織(二重織)九寸名古屋帯とコーディネートしていただいております。
背縫い部分。
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琉球王朝の時代より伝承される伝統織物「久米島紬」国の重要無形文化財にも指定されているこの絹布が放つ美しい光沢と絣の素朴な味わい。カジュアルさの中にも風格を漂わせる一級品を是非お手元にお迎えいただきましたら幸いです。
※価格にはお仕立て代は含まれておりません。(お仕立てはオプションよりご注文下さい)
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八掛地は両駒(紬用)からお選びください。
※色を優先される場合は縮緬向きのパレス八掛地からお選びください。
★八掛地の色をお任せでご依頼される場合は「八掛色NO」記入欄に『赤系お任せ』などとご記入下さい。こちらで色を選定後、メールにて最終確認させて頂きます。
お仕立てに関してはこちらをご参照ください。。
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