夏織物の最高峰【宮古上布】
伝統工芸に新風を吹き込む染織家
その根底には宮古の歴史と人の想いが宿ります
日本工芸会正会員 新里玲子
琉球の歴史を昇華させるかのような涼布
手績み苧麻 手織り絣九寸名古屋帯

【産地】沖縄県 宮古島
【製造者】新里玲子
【品質】手績み苧麻(てうみのちょま)100%
【染色】琉球藍・槐(エンジュ)
【着用時期】7月~8月 盛夏
【長さ:織上がり】約520cm
【宮古上布】手績みの苧麻糸を草木染料で染め、手織りの技で織り上げられた夏織物の最高峰。※手績み(てうみ)・・繊維を手で繋いで糸にすること。
琉球染織らしい井桁格子の絣模様が民芸味溢れる趣きを漂わせ、深緑と藍が放つ渋く重厚な色彩が幻想的とも言える美しさを放ちます。 これが日本工芸会正会員である染織作家 新里玲子(しんざと れいこ)さんの手仕事なのかと思わず息をのんで見入ってしまう作品なのです。
※新里玲子さんは宮古織物事業協同組合に加入されておらず個人作家として製作活動されている為 組合発行の証紙は貼付されていません。
新里玲子~出会ってしまった「宮古上布」
宮古島で生まれ育ち短大を卒業後 客室乗務員として働かれていた新里玲子さん 新しいことがしたくなり3年で退社 次に何をしようかと考えているときに出会われたのが宮古上布でした 。その当時 紺上布で最高の技術を持つと言われた下地恵康氏の元で3年間修行の後 「なぜ宮古上布は1色なのか」紺絣ばかりの製作に違和感を感じ独自の作品作りがしたいとの思いから独立されました。
その違和感とは何だったのでしょうか。それは古い資料で見つけた琉球王朝時代の宮古上布が、様々な色を用いられた美しさと伸びやかな柄だったのです。「これこそが本当の宮古上布なのだ」と感じた新里さんは独立後に独自の感性で物作りに励まれました。しかし現実は厳しく周囲からは「これは宮古上布ではない」と厳しい言葉を投げかけられたといいます。その後 紺上布も宮古上布であり コツコツと同じ作業を繰り返して完成する紺上布こそ宮古島の人々の根底にある精神なのだと気付かれたのだそうです。一度は「自分の感性で作りたい織物を作れれば良い そこに宮古上布という名前など必要無い」とさえ思われたそうですが、人から「今こうして織物を製作出来るのは全て宮古の織物の歴史や技術があってこそではないのか」との言葉で我に返り思いを変えられたのです。
そして現在では自身の製作活動と共に宮古上布の振興や後継者育成の為に「宮古上布保持団体」の代表を務め御尽力されています。
命が吹き込まれた個性溢れる糸を愛しむ
宮古上布は苧麻を手績みした糸が用いられています。苧麻の皮を剥ぎ繊維を裂き結び目が出ないように撚って一本の糸に仕上げられます。この手績みの仕事がもっとも手間がかかります。その仕事は単調で気が遠くなる程の時間を要します。こういった手績みで作られる糸は芭蕉布 越後上布 藤布など天然の植物繊維を原料とする織物に共通するのですが、どの産地もこの仕事に従事される方の高齢化が深刻になっています。織り手になりたいという若者はそれなりにはおられるのですが ひたすら糸を績む仕事がしたいと思う若者がいるはずもありません。美しい織物が作りたい。そうして出来上がった作品は世間から憧れの眼差しで見られ愛され そして作者は賞賛されます。しかしその作品の原料となる糸にまで思いを寄せクローズアップされる事は稀ではないでしょうか。
このような自然布の一番の魅力は糸にあるのです。新里さんいわく 若い頃は良いか悪いかで糸を判断していたと、細く均質で織りやすい糸が良い糸なのかもしれません。しかし歳を重ねるにつれ それぞれの糸が持つ個性に気付き魅力や面白みを感じるようになられたとか。
糸を績む人によって全て個性が違う それが面白味や味わいを生み出すのでしょう。出来上がった布の魅力を左右するのは糸だというのが自然布なのです。
艶やかな渋い光沢を放つ布
宮古上布は織り上がったのちに製織の前に織りやすいように付けられた糊や不純物を水洗いで落としその後 砧打ち(きぬたうち)という仕事が待っています。
生地に澱粉糊と水を混ぜたものを均一に塗り3kg~5kgもある大きな木槌で布を何度も何度も叩く事で繊維が柔らかくなるとともに美しく渋みのある光沢が生まれます。本品は帯ですが着尺の場合は2万回から2万5千回も叩くのです。闇雲の叩けば良いのではなく熟練した職人技が必要となる事はいうまでも有りません。まるで蝋を引いたような見た目になりそれを「蝋引き」と表現されることもあります。最後の仕上げまで生地をより良いものにするこだわりも島民の気質がなせる技なのです。
人頭税に苦しめられた辛く悲しい歴史
宮古上布を語る上で知らねばならない事が有ります。
琉球王朝の頃から明治の初めまで宮古島の人々が苦しめられた人頭税です。
人頭税とは収入にかかわらず全て人々から一律税を徴収する制度の事です。どんなに貧しくても台風などの災害が起ころうとも厳しく徴収されたのです。宮古島では15歳から50歳の全ての人に税が課せられました。数え年ですから15歳と言えば今では中学生の義務教育の頃からです。男性は粟 女性は布を納めなければなりません。税は琉球の人々全てに課せられていましたが 宮古島と八重山は特に厳しく徴収されたのです。身分の高いものは軽くその分を身分の低い貧しい人々から重く取り立てていたという事ですから当時の人々は税の為に布を織っていたのです。徴収した宮古上布は琉球王朝から薩摩藩に献納されそこから「薩摩上布」と名を変えて京都や大阪へ出荷し巨万の富を得ていたのです。本来は島民の血のにじむような生活の元に作られた宮古上布なのです。
高度な絣の技術は決して作りたくて作られたのでは有りません。少しても身分の高いものや役人 商人が利益を得るために作らされたのです。どんなに素晴らしい宮古上布を作ろうとも自分たちの生活には全く関係無かったのですから。
新里玲子さんが宮古上布の世界に入ろうとされた時 周囲の者は過去の人頭税というマイナスイメージから反対されたという事ですから 当時の年配者の方達にとって宮古上布は暗い歴史の象徴だったのでしょう。
266年もの長きに渡り苦しめられた人頭税 それが宮古上布なのです。人頭税が廃止され ようやく島の産業として自分たちの生活の糧として独立する事が出来たのです。
最高級 夏の涼布「宮古上布」悲しい歴史が糧となり今なお織継がれるお品です。日本工芸会正会員 染織作家 新里玲子さんが生み出す独自の感性と 島に代々続く手仕事の技が見事に融合した作品です。
決して量産出来るものではなく手仕事の極みといっても過言ではない「宮古上布」滅多にお目に掛かれるお品ではございませんのでお目に留まりましたら是非お手元にお迎えくださいませ。
スポットガーデン 筑摩和之
※写真と実物とはモニターや画像処理の関係上、若干異なる場合がございますので予めご理解ください。
※価格にお仕立て代は含まれておりません。
※お仕立てをご依頼の場合には、本ページに設置のオプションからそれぞれの項目をご注文と同時にお選びください。
※夏用帯芯を使用します。
【お仕立てについて】
【九寸名古屋帯】
1「名古屋帯仕立て」5,400円
手先からお太鼓までを半分に折って芯を入れて仕立てる
※最も一般的なお仕立て方法です。
2「開き仕立て(裏地無し)」9,720円
手先を半分に折らずに全て平らにして芯を入れて仕立て、手先から胴巻きの部分に裏地をつけない
3「開き仕立て(裏地付き)」12,420円
2の開き仕立てで裏地(モス)をつける仕立て
※裏地の色はお任せになります。
(帯ガード加工)
・雨やお食事時にも安心のガード加工:3,240円
※国内手縫い仕立てです。