至福の木綿織物・・土佐手縞・・福永世紀子
日常の中に溶け込む安心感・・・
まるで織物が呼吸をしているかのような揺らぎ・・・
高知県 土佐町の自然の中で染織作家「福永世紀子」さんが生み出す木綿の綾織物。
「土佐手縞」と名付けられたこの綿布が放つ”安らぎ””温もり”という贅沢を是非味わっていただきたい八寸名古屋帯のご紹介です。
【製造者】福永世紀子
【品質】綿100% (米綿 インド綿)
【糸染色】天然草木染
【製織技法】高機織り八枚綜絖
【長さ】約5m10cm
【着用時期】9月~翌年6月頃(袷・単衣の季節)
”手紡ぎ木綿”に魅せられ40数年、染織作家「福永世紀子」さんが作り上げる布が人の心を穏やかな至福の世界へと導いてくれます。
木綿を自らの手で紡ぎ、草木で染め、織り上げる。
全ての工程を1人でこなし生み出される綿布には福永世紀子さんの想い・情熱・人生観と言った目に見えない何かがそこに宿ります。
手紡ぎされた木綿が持つ温もり、草木染の深み、そしてそれらが八枚綜絖による高度な機織りの技で布という形となります。そこには人の心にしみわたる安らぎが感じられ、得も言われぬ至福の贅沢をご堪能いただけるのです。
1941年 旧満州で生まれ、その後故郷の高知県で育った福永さん。
子供のころから絵をかくのが大好きだった少女は大学のデザイン科で勉強した後、デザイン関係の会社に就職されました。しかし机上のデザインの仕事では飽き足らず、親御さんの反対を押し切って退社。29才の時に綴織の人間国宝「細見華岳」氏の元に弟子入りし織物について勉強されました。
しかしそこでも自分の手によって織り上げるものの、糸作りや染色は他人の手によって行われるという西陣織の分業体制の中で作品を作ることに満足されていませんでした。
そして「全てを自らの手で作り上げたい」という欲求に駆られていた33才の時、丹波布との運命的な出会いをされたのです。
木綿織物「丹波布」の生産地である兵庫県青垣町にたまたま人の誘いで訪れた時、縁側で糸車を使い綿を紡ぐ1人のおばあさんの姿を見たとたん「これこそが私が追い求めていたものだ」と直感的に感じ取られたということです。糸車からスーッと紡がれる糸の美しさに心を奪われ「私もこんな糸を紡ぎたい」・・それこそが、土佐手縞の原型ともいえる丹波布との出会いでした。
手で紡いだ木綿を草木で染め、手機で織り上げる織物「丹波布」昔は佐治木綿として明治の頃まで盛んに製造されていたこの織物も大正時代には消え去ったのですが、昭和の初め”民芸運動”の祖とうたわれる柳宗悦氏(やなぎむねよし)が京都の朝市で偶然佐治木綿の端切れを目にし、「静かな渋い布」だと称し丹波布として復刻されました。
1955年頃に復刻された約20年後の1975年 福永さんは丹波に移り住み丹波布の修行を始められました。
会社勤めから綴織の仕事、そして丹波布へ。それは決して飽き性で長続きしないという転職では有りません。更に自分自身の理想を追い求め高みを目指す福永さんの精神、いや・・もっと子供のような純心な好奇心だったのかもしれません。
やると決めたら即行動に移さないと気が済まない福永さん。丹波に移り住んだ当初はもちろん丹波布で生計を立てるなどできません。
綴織の仕事を請け負いながらの修行だったといいますから並々ならぬ努力と苦労をなさったことは容易に想像できます。でもそれを苦労と感じないほどに夢中で修行に没頭されていたのかもしれません。
丹波に居を構えてから9年後の1984年 大阪心斎橋「泉画廊」にて第一回目の個展を開かれるまでになりました。1987年には「日本伝統工芸展 入選」 1989年「日本伝統工芸染織展」にて日本工芸会会長賞など数々の賞を受賞され、丹波布作家としての才能が花開きご活躍されました。
そんな中、土佐に住む母が高齢となり故郷と丹波を行き来する生活が続くと郷里「土佐」の自然の美しさに気付き帰郷することを決断されました。1999年 福永さんが58才の時です。
土佐で製作を続けられた福永さん。その木綿織物を自らが「土佐手縞(とさてじま)」と名付け独自の個性を存分に注ぎ込む唯一無二の作品として世に生み出していかれているのです。
土佐手縞とは土佐に伝承される伝統工芸品ではなく、福永世紀子さんオリジナルの織物なのです。
若き頃にデザイン会社で叩き込まれた色作りを基礎とする色の美しさと絶妙の配色、綴織や丹波布で培った織の技に加え八枚綜絖の機を使った綾織の素晴らしさ、そしてなによりも33才の時に運命的に出会った糸紡ぎによって作り出される土佐の自然のように澄み渡る美しい糸の全てが福永さんの手を通して出来上がる織物。生活の中に密着した普段着としての美を極限まで追求した織物。それが土佐手縞なのです。
【八枚綜絖機】
非常に緻密な綾織は八枚綜絖の機で織り上げられています。綜絖とは縦糸を上げ下げする装置の事でそれを8枚使用されている機で織り上げられています。
上の写真が実際に福永さんが使われている織機です。足元に”踏み木”と呼ばれるペダルが八本並んでいるのが分かります。そのペダルを踏み綜絖を上下させながら緯糸を一本一本、経糸の間に通して打ち込まれていきます。丹波布は平織ですので2枚の綜絖を上げ下げして織り上げられるのですが、八枚綜絖で織り上げるためには大変な技術と時間が必要とされます。最高峰の織物の1つである沖縄の南風原花織でも”七枚綜絖”の機ですのでその高度さがお分かりいただけるかもしれません。
丹波で織の技術に磨きをかけていたころに出会った唐木綿(とうもめん)「※江戸時代に海外から持ち込まれた木綿織物」の複雑な模様を織り出した古裂を一本一本解きほどきながら織の組織を研究し、自分で設計図を作りその技術を極められました。
どれほどの時間と労力がかかったのでしょうか。好きだから出来るとはいえそこまでやり遂げる執念・・いえ木綿に対する愛の強さゆえなのでしょうか。
八枚綜絖の技術により緻密に織り上げられた綿布の織り目は斜めに走り、変化のあるジグザグの地模様を織り出しています。その揺らぎの中に福永さんの魂が宿り、まるで生き物であるかのような息吹が感じられてなりません。
手紡ぎされた木綿糸で綾織された生地は斜め方向の伸縮性があり抜群の締め心地を感じていただけるのではないでしょうか。
自宅兼工房から見た土佐の景色
糸染めには天然の草木染料が使用され、その作業も福永さんが自ら行われています。
本品で使用されている染料は経糸:小鮒草、インド茜、藍 緯糸:コチニール、インド茜、藍
草木染料は化学染料のように一回で簡単に染まるものでは有りません。何度も何度も繰り返し染めては媒染することで自分が思う色に近づけていきます。
その技術と労力はもちろんの事、色に対する知識とセンスも必要であり、その色に対する基礎を美大を卒業して約3年間勤められたデザイン会社で叩き込まれたそうです。
草木染めから放たれる色は化学染料のような絶対的なものではなく、その中に有機的な天然の不純物が混ざることで色の中に別の色が隠れていると言えばいいのでしょうか、干渉して深みと呼ばれる趣きが生まれるとおっしゃる方もおられます。
そしてその不確かさゆえに、様々な色目の着物と組み合せてもしっくりと馴染んむのです。
手で紡がれた美しい木綿の温もり、天然の染料で染め上げられた色の深みと優しさ、そして八枚綜絖で綾織された手織りの風合い。
それら全てにおいて作家 福永世紀子さんの長きにわたる人間味あふれる歴史が詰まった「土佐手縞」
今回ご縁があって通常よりもお安く手に入れることが出来ましたので通常販売可能価格よりもお求めやすいお値段でご提供させて頂きます。
また、本品は「美しいキモノ 2017年秋号」に4ページにわたる福永世紀子さんの特集の中で写真掲載されています。
美しい着物 2017年秋号 175Pに掲載されています。
また、婦人画報5月号にも掲載されます。
※写真と実物ではモニター環境などにより若干色が違って見える場合がございます。
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【お仕立てについて】
【八寸名古屋帯】
1「松葉仕立て」
1,620円
手先から約38cm(1尺)半分に折ってかがります。
※最も一般的なお仕立て方法です。
※手先が半分になっているので締めやすくなっています。
2「平仕立て」
1,620円
手先を半分に折らずに全て平らのまま仕立てます。
※胴巻部分の帯巾を調節したい方におすすめです。
【ガード加工】※水をはじく加工です。
3,240円※本品は天然の風合いをお楽しみいただく為、ガード加工はおススメしておりません。
【お仕立て+ガード加工】
4,860円
※帯は国内ミシン仕立てです。
※手縫いをご希望の場合には別途3,240円かかります。(オプションより選択)
※お仕立て期間 約20日
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